K子さんおめでとう。

原稿やってジム行って、その足で渋谷の文化村へ。講談社M氏と打ち合わせをひとつ。

のち、いったん帰宅して再びしこしこ原稿書いて、22時半ごろデュランバーに顔を出す。デュランバーの裏番長、K子さんの誕生祝いを数名でささやかに。果たして、深夜のケーキが喜ばれるのかどうかは難しいところであります。

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仕込んでいたサプライズゲストは登場しなかったけれど、楽しい一夜。

横須賀で山狩り。

昨日の地底湖に気を良くしたもので、今日は横須賀は追浜方面へ。詳細な位置は伏せますが、どうしても押さえておきたい壕があるのです。

……が、これがじつに手強い。いつものように山肌に添ってぐるりと歩き、壕口もしくはそれに繋がりそうなルートを模索するものの、手がかりは皆無。絶対、目の前のこんもりとした山の内部に、目指す壕が展開されているはずなのに…!

やむなく、ちょっと無茶なルートから山狩りを敢行し、擦り傷だらけになりながら藪を分け、山頂に到達すると、不自然なスペースが。石碑みたいなものもある。

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朽ちた石柱には、「重校」の文字が。

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目的の壕は、陸軍の重砲兵学校ゆかりのものなので、非常に関連性を感じます。やはり、いままさにその真上に立っているはず。なのに、どうしても壕口が見つからない!

さらに小一時間頑張って、やっと見つけたのがこれ。完全に埋められています。さすがにこれを掘り返して進むわけにもいかず、泣く泣くアタックを断念。

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あとで全力で調べてみたら、周辺の開発にともない、1年前に壕口は潰されてしまったようで。たしかにこの山の目の前には、大きなマンションが建てられようとしていました。ううむ、無念。

でも、手ぶらで帰るのもなんなので、横目に入ったこちらをチェックしてみることに。ご覧のように、ゴミ捨て場になってる雰囲気が満載なので、気は進まなかったのですが…。ちなみに左に見える階段は、古い神社の名残です。

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でも、這いつくばって奥まで進んでみると、小さな壕ではあるものの、内部は案外ちゃんとしてました。

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天井には碍子が残っています。かつては銃眼でもどこかに開いていたのかもしれませんね。

沼津の地底湖。

今日は静岡県沼津市内の戦跡探訪。通称「地底湖」がメインターゲットです。

かつて軍需工場が置かれたある壕のなかを、懐中電灯の灯りだけをたよりに進んでいくと…、水没したエリアがあるのです。誰が置いたのかボートまで浮いていて。ちょいと出航してみましたよ。

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界隈には他にもいくつか変わった遺構が散見されましたが、とりあえずこの一枚が撮れたので大満足。

山梨“ワイン椀”ツアー。

ワイン用の焼き物「ワイン椀」なるものがあるそうで、ちょっと面白そうなツアーに誘われて山梨まで。出発に備えて6時起きで原稿を片付けたのに、集合時刻を1時間間違えて遅刻するというボーンヘッドをやらかしましたが、ツアーには間に合ったのが不幸中の幸い。

知る人ぞ知るオヤマダさんの畑で、まずは白。普段は運転手なので、こういうバスツアーは本当にありがたいっす。

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その後、陶房窯八さんの窯場にお邪魔して日本酒の利酒会、のち、八ヶ岳のコテージで自然素材たっぷりのビュッフェ。いい感じに呑んだくれの1日でした。

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国産ワイン、本当にレベルアップしているなあとこの日も痛感。

早見和真、推理作家協会賞を獲るの巻。

午前中からKADOKAWAで、貴志祐介さんのインタビュー。どうしても合間に「メイウェザーvsパッキャオ、楽しみですねえ」となってしまうけど、この日も有意義なおがたくさん聞けました。早く貴志さんの新作が読みたいなあ。

終了後、神保町の集英社まで徒歩移動。やはりインタビューを1つこなしたあと、早見和真さんがこちらへ向かっているというので、駅前の「さぼうる」で待機することに。早見さんは昨夜、推理作家協会賞を受賞したばかりなのです。

ちなみに「さぼうる」、60周年なのだそうで。僕は大学卒業後、この近くにある小学館プロダクションに入社しているのですが(現在は小学館集英社プロダクションに改称)、最初の研修のときに「さぼうるは覚えておけ」とレクチャーされたことを思い出します。そのくらい神保町に根付き、愛されつづけてきた店なのですねえ。

当時は無邪気に「サボる? 面白い店名だなあ」と思っていた程度で、その後こうして物書きになって界隈を徘徊することになるとは、夢にも思っていませんでした。

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ほどなく早見さん登場。ガッチリ握手を交わしたあと、瓶ビールで祝杯。本当は早見さんは下戸なのですが、「少しだけ、ついでください」と、なんだかこの慶事を分かち合おうとしてくれているようで、内心こみ上げるものがありました。

それにしても、デビュー作『ひゃくはち』に感銘を受けて会いに行ったのは、もう7年前のことか…。またひとり、身近にスターが飛び出しました。まわりの男がどんどん出世していくアレだよ、という歌詞が頭によぎらんでもないですが、自分のことのように嬉しいことです。とくになにか貢献したわけでもないのに何でしょう、この厚かましい感情は。

帰宅後、3階級制覇が賭かった井岡一翔の世界タイトルマッチをテレビ観戦。相手のレベコも、気がつけばV8王者。この日は以前に来日したとき(黒田雅之戦)よりも格段にコンディションが良さそうでしたが、それでもいちいち井岡が一枚上手という印象。井岡のボクシングはテクニカルで見ていて本当に飽きません。現役ボクサーで最も「目がいい」のは井岡かも。

さて、悲願の3階級制覇も達成したことだし、ぜひ今後はファンを楽しませるマッチメイクを期待したいところ。でも、「八重樫と再戦の可能性は?」との質問に、「やりたくないです」と苦笑いする心境は、わからんでもないです。

国産ワインの宴。

午後から都内某所、ロボットデザイナーの松井龍哉さんの事務所へ。またひとつ、楽しみな仕事がスタートです。2時間ほどお話して、次回のアポを確定させて辞去。

いったん帰って原稿をいくつか片付けたあと、晩はイワセ先輩宅で国産ワインの会。基本的に初めましての方が10人ほどそろった場なのですが、奇遇にも昨年あるワイン会でご一緒した某女史と再会。飲んべえの世界は意外と狭い。というか、SNSの登場が世間をいっそう狭くさせている。

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独自ルートで優先的に仕入れられた希少な銘柄を、イワセさんの解説つきで次々にいただく。さすがのお点前。

じつは個人的には、15年くらい前に国産ワインに見切りをつけていたのですが、ここ3年ほどハマり始めました。河合香織さんが題材にしたころくらいから、ハッキリとレベルが右肩上がりしている印象。

フランス人もびっくり。

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彼とはドラゴンボールの話で盛り上がりました。フランス人って、本当に日本のアニメが好きなんだなー。

館山の機銃試射場跡、赤山地下壕ほか。

ほんと、戦跡ばかりですいませんって感じですが、沖縄から間髪入れずに今度は千葉県館山市に出張。今回は再生したばかりの愛車をアシに使いましたが、千葉と言っても館山はけっこう遠いんす。バッテリーこそ元気だけど、いつトラブルかビクビクしながらハンドルを握っておりました。

さて、某所の山中に、ひっそりと戦闘機の機銃試射場の跡地が残っているというので、意気揚々と捜索開始。でも、どうやら的外れな方向に向かってしまったようで、どれだけ山林のなかを歩いても、それらしいスポットが見つかりません。代わりに、事前情報になかった壕がごろごろ…。

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迷いながら思わぬ発見が多々得られるというのは、戦跡渉猟あるあるでしょう。ちゃんと数えたわけじゃないけど、浅めのものまで含めれば、軽く10個近い壕口をさらえたような。そのうちのひとつは山の反対側まで貫通していて、放置されて久しいと思われる田畑に出ました。

それなりに収穫は大きかったのですが、2時間ほどリサーチして退散。引き返す途中、「まさかこんなところには何もないよな?」と少しだけ覗きに行ってみた藪のなかに、目的のものがありました!

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こういうコンクリート造りの浅い壕がいくつか並んでいて、どうやら戦闘機に搭載する機銃をこの穴に向けて発射していた様子。壁面をつぶさに観察すると、当時のものと思しき弾痕が多数確認できます。

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というわけで、このエリアは大収穫。雨が降り始めたので、次のスポットを目指します。今度は自治体によってしっかり管理されている赤山地下壕。入場料を払うと、ヘルメットと懐中電灯を貸してくれます。とくに足元がぬかるむようなこともなく、ダンジョン初心者におすすめ。内部はこんな感じ。

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このあと、掩体壕など周辺の戦跡をいくつか刈り取ったものの、強まる雨脚に行く手を遮られ、夕方手前に取材を断念。

GO!GO!壕!

あっという間に沖縄最終日。この日は読谷方面を中心にラストスパート。ガマ以外も含めていろんな戦跡をまわりましたが、やっぱり絵的にオイシイのは壕なんですよね。今日もいくつかピックアップしてみます。

最初に向かったのは、那覇から少し北上したエリアにある楚辺海岸。こんなカラフルなビーチ、もはや凄惨な沖縄戦のイメージはありませんが。

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この海岸を少し歩くと、引き潮のときじゃないと立ち入りにくい場所に壕口が…。これも自然壕ですが、入口部分はコンクリートで整えられています。

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その入口の壁面に、こんな文字が描き込まれていました。「JESUS SAVES」。戦中のもの? いや、英語だしこの壕が米軍に接収されたあとのもの? いやいや、こんなところ接収しても利用価値なさそうだし…。文字があまり風化していないところを見ると、近年の侵入者の落書きと見るべきでしょうか。

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内部は自然のままで、決して居心地のいい環境ではありません。でも、20人くらいは収まりそう。誰が置いたのか、先端が輪っかになった太いロープが転がっています。

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銃眼もあいていました。ここから見る風景、70年前とどう変わったのでしょうか。

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次の壕へ移ります。車を数分走らせた、すぐそばの船着場の一角に、トーチカ跡がありました。

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上の写真ではトリミングしてますが、周囲は普通に小型の船舶が複数とめられていて、日常的に人の出入りがある場所です。イヤな予感を覚えつつなかへ入ってみると……、やっぱりゴミだらけ。

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直接関係はないけど、付近の壁面にはペンキで「なんでゴミすてるかねぇ~」とでっかく描かれていました。まったくです。

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気を取り直して読谷村へ移動。こちらは有名なチビチリガマ。米軍の沖縄上陸を受け、その翌日に周辺住民が互いに殺し合うなどして“集団自決”した場所です。なぜなら彼らは、鬼畜米兵にとらえられると、酷い拷問にかけられると教えられていたためです。数少ない生存者の証言によれば、パニックに陥った住民たちは自ら毒を打ち、肉親同士が刃物で殺し合う地獄絵図が繰り広げられたとか……。

壕口の右手には、そんな惨劇の犠牲となった人々の死を悼み、平和を祈念するため「チビチリガマ世代を結ぶ平和の像」が建てられています。

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壕内は遺族の要望によって立入禁止。もっとちゃんとした柵を設けなければ、心ない観光客が立ち入ってしまうのではないかと心配してしまいますが、壕口にはこのような立て札が。

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「ガマの中には私達、肉親の骨が多数残っています。皆様が、ガマにはいって私達の肉親を踏み潰していることを私達は、我慢できません」(一部抜粋)

これは、どんな立入禁止の看板よりも効果的ですね。ここは戦跡であり、お墓でもあるのです。僕も踵を返して次のスポットへ向かったのでした。

このあと、もういくつか取材をこなしたあと、晩のフライトで帰京。以前、戦後60年のタイミングで手がけた沖縄戦ルポから丸10年。こうしてまたこのテーマと向き合う機会を得た意味を噛み締めつつ、沖縄レポートを終わります。

「手榴弾に注意」。

ホテル付近の喫茶店で、ポーク玉子を食べたあと、今日はまず首里城公園へ。といっても、いまさら首里城そのものがお目当てであるはずもなく、公園内に点在する戦跡を押さえるのがミッション。意外に思う人もいるかもしれませんが、首里城界隈は戦時中、軍の司令部が置かれた要所で、わりと規模の大きな地下壕が張り巡らされているのです。

守礼門のそばで存在感を醸しているこのアカギの樹にしても、戦火で一度は焼かれながらも、クワ科のアコウが寄生したことで再生した不死鳥的存在。戦前は大きく枝葉を伸ばし、周辺住民に憩いの木陰をあたえていたと、傍らの案内板に記されています。

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そして、そのちょっと裏手に位置する「第32軍司令部跡」の壕口がこちら。

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鉄柵によって封じられていますが、覗きこむとなかはこんな感じ。

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もしかすると正規に取材申請をすれば、なかまで撮影させてもらうこともできたのかもしれません(いや、無理かな?)。いずれにしても、一般の人が立ち寄ることができないなら取り上げる意味がないので、今回は基本的にノーアポイント。

首里城をあとにして、この日はほかにもいくつかの壕を探索。印象的なものをピックアップしてご紹介すると、まずは南風原にある病院壕跡。事前予約が必要ですが、ちゃんと管理されていて、ボランティアガイドの方と一緒に、ヘルメットをかぶって入壕するかたち。

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その名の通り、病院棟がわりに使用された壕です。ガイドさんたちは当事者の証言を共有し、「ここで手術を行なっていました」とか「感染症を防ぐため、負傷した手足は切り落とさざるを得なかったようです」などと、当時の詳しい事情を解説してくれます。真っ暗闇なので懐中電灯を持たねばならず、メモをとれないのが難点といえば難点。

壕を出たあと、体験者の証言にもどついて再現した、“当時の壕内の匂い”をかがせてもらいました。

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……まあ、はっきりいえば糞尿の匂いなんす、これ。汚物はすべて特定の場所に溜められ、定期的にそれを運び出していたそうで、壕内にはそれらと消毒液の匂いが充満していたのだとか。なんでわざわざそんなもん作ったんだ! と思わなくもありませんが、これも体験学習の一環なのでしょう。

もうひとつ、このあと探索した別の壕についても。崩落の危険がありそうなので場所などは伏せますが、なかへ踏み込むなりこんな看板に出くわしました。

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「手榴弾に注意」。これは思わず二度見してしまいました。不発弾的にそういう遺物が転がっている可能性があるようで、うっかり蹴飛ばそうものならドッカン――とくるわけです。

戦跡取材を始めて以来、友人知人には「急に連絡がとれなくなったら、どこかの穴で死んでると思ってくれ」とよく言うのですが、決して冗談ではないわけです。

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めげずに深部まで行ってみました。構造自体はシンプルですが、なかなか奥の深い壕でした。

沖縄戦跡ツアーズ開始。

戦跡取材の本丸といえば、やはり沖縄。ちょうど10年前にも沖縄戦をテーマにがっつりルポをやったことがあり、思えば戦史や戦跡に少し興味を持ち始めたのもあの取材がきっかけでした。

というわけで朝イチのフライトで那覇へ飛び、レンタカーで南部エリアをまわります。まずは手始めに「旧海軍司令部壕」。

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ここはもはやひめゆりクラスの定番観光スポットで、内部もしっかり整備されているのでいわば初級編。当時、発電機を置いていた台の跡とか、自決した際の手榴弾の跡とか、部分的に生々しい痕跡も残されているので、それなりに目を見張るスポットではあります。

その後も、ガマ(沖縄では壕のことをこう呼ぶ)をいくつか。這いつくばるような体勢で泥まみれになって進入すると、なかは驚くほど入り組んだ造りになっている自然壕が点在しています。立入禁止のところも多いのでご注意。

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南部はビーチ近接地でもあるので、ちょくちょくその光景に癒されながらの取材行。気温は完全に夏です。

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植物や昆虫がなんだか元気いっぱいに見えるのも、沖縄の特徴でしょう。

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初日からいい取材ができました。夕方、那覇市内にチェックインして、シャワーを浴びてから街へ繰り出したのでした。

夜ちょっとうなされたのは、枕が変わったせいなのか。それとも、ぶしつけに壕に立ち入った罰なのか。